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馴れ初め話を1話から↓
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第2章:子育て編
*現在はアメリカから日本に引っ越した時の
昔の話を書いてます*
53話の続きです。
旦那がまたアメリカに戻りたいと言い出した。
しかし長女春子の気持ちはどうなのだろうか
子供の気持ちもちゃんと聞かないといけないのだが
その前に、今までの、そして今の春子ママとしての
自分の気持ちを分析してみることにした。
だから旦那が日本に帰るといった時は
ちょっとほっとした所もあったと思う。
そして日本に引っ越してどうだったのか。
これって嫌な言い方に聞こえるかもしれないけど
同じ人種の中で暮らすことって本当に楽だった。
55話へ続きます。
ところで、ようこそブルーガーデンさんが
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ありがとうございます。
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ありがとうございま〜す。
53話にたくさんのコメントありがとうございます。
コメントを読んでもう一度
あの時の自分の気持ちを整理して書いてみる
ことにしました。
と言ってもまた今日のブログを読んだらきっと
。。。お前もいい加減だなあと思うでしょうが
おっしゃる通りいい加減でしたね。
子供のためとか言っときながらどっちやねん!
とにかく基本的には旦那が全てを決めたのですが
今思うと自分はどっちがいいと言えなかった
言わなかったわけで、ずるかったかなと思っています。
なぜ言わなかったかというときっとこれといった
信念が無かったこともありますがもし自分が
強く希望して後で「ほら」みたいなことになると嫌だったから
という逃げの体制だったんでしょうね。
だからある意味うまくできた夫婦ではあるのかもと
思うのですが、きっとちゃんとした方針や生き方を
持った女性から見たら変な夫婦関係でしたよね、
今も変ですが(笑)
というかきっとあの時の旦那への不満が
知らない間にブログに出ているのかもですね(笑)
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第2章:子育て編
*現在はアメリカから日本に引っ越した時の
昔の話を書いてます*
53話の続きです。
〜第54話〜
旦那がまたアメリカに戻りたいと言い出した。
しかし長女春子の気持ちはどうなのだろうか
子供の気持ちもちゃんと聞かないといけないのだが
その前に、今までの、そして今の春子ママとしての
自分の気持ちを分析してみることにした。
だから旦那が日本に帰るといった時は
ちょっとほっとした所もあったと思う。
そして日本に引っ越してどうだったのか。
これって嫌な言い方に聞こえるかもしれないけど
同じ人種の中で暮らすことって本当に楽だった。
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53話にたくさんのコメントありがとうございます。
コメントを読んでもう一度
あの時の自分の気持ちを整理して書いてみる
ことにしました。
と言ってもまた今日のブログを読んだらきっと
。。。お前もいい加減だなあと思うでしょうが
おっしゃる通りいい加減でしたね。
子供のためとか言っときながらどっちやねん!
とにかく基本的には旦那が全てを決めたのですが
今思うと自分はどっちがいいと言えなかった
言わなかったわけで、ずるかったかなと思っています。
なぜ言わなかったかというときっとこれといった
信念が無かったこともありますがもし自分が
強く希望して後で「ほら」みたいなことになると嫌だったから
という逃げの体制だったんでしょうね。
だからある意味うまくできた夫婦ではあるのかもと
思うのですが、きっとちゃんとした方針や生き方を
持った女性から見たら変な夫婦関係でしたよね、
今も変ですが(笑)
というかきっとあの時の旦那への不満が
知らない間にブログに出ているのかもですね(笑)
コメント
コメント一覧 (7)
春子ママの気持ちがよく分かります。いま私は専業主婦で在加歴も旦那の方が長いので、基本的に旦那の意に沿って何かと選択、判断していることが多いです。旦那ほど強い意見がある訳でも無く、意見交換をしても納得することが多いので(旦那の方が知識量が多いとも言える)、ある意味バランスの取れた(?)夫婦かもしれないです。
カナダでも表面的にはフレンドリーでも、内心どう思っているか分からない方もいらっしゃいます。(私の住んでいる地域はアジア系が少ないので、地域によるのかも知れないですが…)たまにモヤっとする人と出会いますが、色んな人がいるな〜と思って基本的にスルーしてます。
なんだか長くなってしまい失礼しました!明日もまた更新楽しみにしています♪
春子ママみたいに1度日本に帰ってとは行かないまでも、休息期間を取るのも良いかな~と思いました!ありがとうございます♡
でも、もし住居が大学の社宅の団地でなければ、アメリカに帰る話が出た時に一揉めしてたかもしれませんね。もしかしたら、自分でも気付かずに社宅疲れが出てきていたのかな、と思いました。
アメリカは個人主義の国だし、ちょうど「もう一度挑戦したい」という気持ちが出てきた時期で良かったですね。
私の場合は、駐在員の夫だったので、本人の意思はあまり関係なかったし、日本生まれの純ジャパ三人兄弟で結局日本を選んでるという違いは大きいですが。
初めてのアメリカはビクビクして過ごし、日本に帰国してホッとしたものの保護者会だの役員だの「なんでやねん!?」ってこともたくさんありました。
二度目のアメリカは日本村的な所だったので、日本人の仲間意識に嫌気がさしながらも抜け出せず。その後日本人の少ないところに引っ越して、ホッとした反面、大変なこともあったりして。
結局、あちゃこちゃで暮らしてみて、それなりに強くなり、成長できたのかなと思います。今は、好き嫌いとは別に、どんな人どんなことでも受け入れられる・・・かな?
死ぬときに、いろんなことがあったなーと思えるかな?笑
大人の私ですらそうなんだから、子供はもっと影響されてますよね。アメリカ時代の子供たちの恩師がバイリンガルの子供たちのアイデンティティについて書いた論文をいただいて持ってます。でも・・・、英語の論文なもんで、私は「見る」「持ってる」だけで「読む」「理解する」ことは出来てませんが、きっと海外で子育てしている方には参考になるものだと思います。あはは。www
うんうん
わかるわかると頷いてしまいました
容器(男)によって、いかようにも形状を変えるから。
今思えば、女へのレスペクト、誉め言葉だったのかもしれないし、
そういう風にごまかされてきたというか、水のように
容器に合わせていくことを期待されていたのかもしれませんね。
夫婦の関係性というか形も様々ですね。
互いに意見を主張し合うことも大切ですし、でも、どこかに共通の着地点も見つけないと夫婦や家族で居られなくなる場合もありますし…。
人生の岐路では、渡りに船、みたいなことは結構あったりするなー、とも私自身は思ったりしています☺